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クリスト&ジャンヌ=クロードについて思うこと [現代アート作家]

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クリストの5つのプロジェクトについてのドキュメンタリー映画を観た。
ドローイングや版画でしか触れていない僕にとって驚きと新鮮さの連続だ。

クリストの作品はいろんな要素で作られる。
ランドスケープの選択、布を使ったモティーフの選定、色、配置、
モティーフの途方もない数やスケール、プロジェクト実現の困難性、
市民の参加性、制作現場のハプニング性、成功した後の達成感と美しさ
2週間程度の展示という瞬間性・・
クリストのアートはそれらすべてが包含して襲ってくる美的体験である。

こうしたアートをランドアートとか環境芸術という言い方があるが、
クリストはもっとアートの根源的な問いかけをしているような気がする。
クリストは協賛も公的資金もまったく頼らない自己資金でこのプロジェクトを行っている。
プロジェクトにおいてクリストは王様であり神様だ。
昔のアートは本来王様が絶対的な権力と資金で素晴らしい創造物を作りあげてきた。
ピラミッドしかり、万里の長城しかり・・

クリストがプロジェクトの王として困難に立ち向かい、様々な人たちを巻き込み、
達成した時の快楽はそうした王様の気分に似ているような気がする。
そして歴史的なプロジェクトに関わった人々に深い感動を与えるのだ。
映画の節々に登場するクリストの発言からそうしたことが僕には感じられた。
つまりクリストのアートは、最先端の現代アートというカテゴリーに収まるというよりも
人間のアートに対する根源的欲求に迫るものかもしれない。



タグ:クリスト

プレイスとしての森山大道の写真

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いまPlace=プレイス論(場所)を読み漁っている。
プレイスという概念は70年代に人文地理学者が唱え始めたものだ。
代表的な論者にトゥアンやレルフがいる。
彼らがいうには、プレイスとは、「個人による主観的な意味の空間」とのこと。
体験によって個人が環境的要素を意味づけして、それがやがて共有化され
時間的経過を経て物語化されたものがプレイスなのである。

森山は30年以上も街を徘徊して、新宿をはじめ多くのプレイスを撮ってきた。
彼が場所を体験し感じ取り、身体的に断片を掬い取ったイメージが、
ある種の新宿や東京というプレイスをつくってきた。

森山による主観的な世界は多くの人にとって共有化されるようになっていて、
森山の写真はプレイスとは何かを考える上で多くの示唆を与えてくれる。

*作品は70年代に横須賀を撮ったカラー写真。
色がすばらしくいい。。


タグ:森山大道

「プレイス」と森山大道の写真 [日本の写真家]

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人文地理学者のRELPHがいうには・・
プレイス(場所)とは、スペースやテリトリーといった抽象的で機能的な概念ではなく、
記憶の塊、感覚的な体験、解釈を意味する。つまりプレイスとは、均質なものの集合体
というより、意味や感情、物語によって規定された地理的なスペースであるという。

森山の写真を見ているとそういった「プレイス」を感じさせる写真が多い。
新宿の飲み屋が集まった裏路はもちろん、電柱に貼ったポスター、排水溝でさえ、
その写真を見ていると、僕の中でのその街のイメージが広がり、今までのその街で
体験した記憶が蘇ってくる。

森山の本では、よく「地名」と「日付」をセットにした彼のエッセイのようなものが書かれている。
別にその街を意識したエッセイではなく、その時の彼の気持ちや行動を綴っている。
そのエッセイと写真の組み合わせが、たまらなくプレイスの本質を感じさせるものになっている。

森山の写真は「ブレ」とか「アレ」とかいった表現様式(スタイル)論で語られたり、
また「前衛的」あるいは「思想」文脈とかで語られたりするが、
僕が一番彼の写真に惹かれるのは「プレイス」との関係性である。


*この写真は、80年代の「渋谷」を撮ったもの。
僕はその当時、渋谷を徘徊していたので、この写真をみるとその当時の空気や記憶が蘇る。

凄いキュレーションとは。 [現代アート論]

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「キュレーション」という言葉が今の時代のひとつのキーワードになっている。
ソーシャルメディアが台頭してきて、ネット上に溢れる情報を再編集して、
新しい価値や意味を生み出していく行為そのものを「編集」という言葉の
さらに上位概念として使われているような気がする。

しかしキュレーションとは、元々美術館の学芸員の中でおこなわれている
企画作業なので、美術界からも「キュレーション」について発信したりする
機運が高まっている。例えば、難波祐子さんが書かれた
「現代美術キュレーターという仕事」もそんな一例で、学芸員からキュレーターに
変遷していった歴史や注目すべき企画展、これからのキュレター像について
わかりやすく書かれている。

近年は、アートの領域も広がり、様々なジャンルをクロスオーバーしたコンセプトを
開発して、それを展示して体験させていくという時代になっているという。
そういったキュレーションの先駆的な事例として現美では「スペースフォーザフューチャー」展
森美では「六本木クロッシング」などが挙げられるらしい。

ところで最近やたら日本の前衛芸術に関する情報や企画展を目にすると思っていたら、
近々、MOMAで「Tokyo 1955–1970」が開催するらしい。
http://www.moma.org/visit/calendar/exhibitions/1242
当時の日本の芸術から写真、建築、映画、商業アートまで、幅広く横断的に編集しようと
いう試みだ。こうした日本の近代の文化の掘り起こしは非常に盛んで、建築家の
コールハースとキュレターのオブリストらも、日本のメタボリズム建築を編集した
JAPAN PROJECT」を出版している。クールジャパンもオタク的サブカルチャーの
領域を超えて、日本のファインアートやハイアートまで浸透してきているのかもしれない。

ここで思い浮かべるのは2001年にポンピドーで開催された「ポップの年」展だ。
1956年から1968年までの世界におけるPOPと連動している文化活動全般を繋いでいる。
現代アート、建築、家具、商業アート、パフォーマンス、デザイン、音楽、映画・・・
会場ではローリングストーンズが流れていたらしい。残念ながら僕は体験してないので
カタログで興奮するしかないが、実際に訪れた僕の友人はその世界に浸り陶酔したという。

キュレーションという概念が浸透し、歴史的な文化を縦軸でつなぐ文脈と、
同時代の様々な文化を横断的につなぐ文脈が見事に交差して、美術館に訪れる人や
カタログに触れる後世の人たちに深い共感と共体験ができるような企画展が日本にも
もっと増えてほしいと感じ始めている。

*写真はポンピドーの「ポップの年」展のカタログの表紙。
いろんなアートや表現物を編集しても、結局最後に集約される
アイコンはウォーホルのマリリンモンローの唇だ・・・


松本典子の「野兎の眼」と出会って。 [日本の写真家]

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熊本長崎書店という美しい本屋の店頭で、松本典子の「野兎の眼」という
写真集に出会った。僕はその写真家を知らなかったが、店頭の柱に彼女の写真が無造作に
貼り付けてあり、それが目に止まって写真集を手にとってみた。
パラパラとめくった時、あのイメージが蘇った。それは中平卓馬の「ドキュメンタリー」シリーズだ。
僕は1年ぐらい前にみた中平の強烈なカラー写真の衝撃からずっと抜けられずにいたが、
彼女の写真を見たときに、僕の中でなにかが繋がりとても気持ちがすーっとしたのだ。

彼女の写真集のテーマは奈良吉野で出会った一人の少女を10年間追跡して撮り続け
やがて少女は大人の女性になり、最後に女の子赤ちゃんを産むというものだ。
それ自体はエモーショナルな物語だし、都会の女性にはない普遍的な美しさと強さを感じる。
でも僕がとても惹かれるのは、少女の写真の合間に挟んである断片的な静物写真だ。
それがとても美しくプリミティブで力強い。少女のストーリーと中平的カラーの断片が
交互に編集されることで、とてつもなく独特な世界観が作り出されている。
もし70年代生まれの女性写真家が、蜷川やヒロミックスや川内らの影響を受けずに、
中平の影響を受けていたらそれはすごく興味深いって単純に思った。

ここで感じたことは僕の妄想かもしれないし、中平との文脈なんてないのかもしれないけれど、
もし「野兎の眼」の批評が「一人の少女のストーリー」だけの側面だけに偏るのであれば、
こういう見方もあってもいいかなって思って書いてみた・・・

*この写真は写真集のハイライト的な一枚。ちなみに「野兎の眼」というタイトルも、中平卓馬が編集に関わった思想雑誌「現代の眼」を仄めかしている。


クリエーションとは何か? ~ジャクソン・ポロック展をみて~ [現代アート作家]

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クリエーションとは何か?ポロック展をみて僕に投げかけてくるテーマだ。
今回目玉となる作品はいくつか展示されていた。
「インディアンレッドの地の壁画」とかMOMAが持っている「ナンバー7」とか・・・
でも一番投げかけてくるのはポロックがアメリカ人として世界の通用する現代アートに
いかにして到達したかという苦悩にみちた物語だ。
プリミティブなアートをモチーフに絵画を作成し、やがてシュールリアリスムの影響を受けつつ
ヨーロッパの現代アートを受け入れることで現代アートとしての地位を確立し、
その後彼独自のスタイルである「ドリッピング」や「オールオーバー」を見つけ出し、
1950年には到達点ともいえるナンバーシリーズを制作し世界一の現代アートを生み出す。
その後はそれを超えることできずに酒に溺れ最後は交通事故で44歳の若さで亡くなってしまう。

ポロックの絵画を観るときには、必ず芸術家としての創造の苦しみに関する伝説がつきまとう。
そういった伝説はピカソやミロやマティスにはあまりない。
そういったポロックならではの神話性を十分に感じる展覧会であったし、
こうした伝説こそがポロックの魅力かもしれない。

芸術家のクリエーションに関する伝説は他にもたくさん存在する。
例えば森山大道だってこれまでの写真を解体しようとした「写真よ、さようなら」を発表した後、
しばらくして全く写真を撮れず苦しみ薬中毒になっていく話とか・・・
アーティストのクリエーションをめぐる伝説は事欠かない。

それくらい「クリエーション=それまでの価値を破壊して新しいものを生み出す行為」というのは、
産みの苦しみとの戦いなのだろう。川久保玲が最近言った「最近の人は強いもの、
格好いいもの、新しいものはなくても、今をなんとなく過ごせればいい、と。情熱や興奮、怒り、
現状を打ち破ろうという意欲が弱まってきている。そんな風潮に危惧を感じています。」
という発言は、クリエーションの本質を突いているのかもしれない。
ポロック展は、世界最高のモダニズムの絵画を知る機会である以上に、
クリエーションとは何かを僕に問いかけてくる貴重な展覧会だと思った。

*写真はポロックの作品ではなく、彼のクリエーションの現場写真を挙げました。






スティーブン・マイゼルの貴重な1枚。 [欧米の写真家]

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近年の写真ブームの中で、いろいろな写真のジャンルが掘り起こされていくなかで、
ファッション写真」というカテゴリー市場もずいぶんと肥大化してきた。

アベドン&ペンらのアメリカのファッション雑誌の黄金期をつくった60年代組から始まり、
70年代はニュートン、80年代はウェーバーやリンドバーグらが代表格で、そのほかにシーフやホーバット、クライン、ベイリー、バースマンなども各年代を代表する顔ぶれもいる。

こうした作家の作品が市場に出回り、アベドンやペンはとてつもない相場で取引されていて、
次にニュートン&リンドバーグが続き、シーフやウェーバーはまだ大人しいといったところ・・・

ある時「コムデギャルソン」(1986年筑摩書房)のファッション写真集を見てみると、
80年代を代表する写真家が撮っていた作品が編集されていた。
それらの写真は僕のイメージに焼きついている写真のオンパレードなのだが、
その中で僕が特に好きな写真の写真家の名前を見ると偶然、すべてスティーブンマイゼルだった・・・マイゼルの写真だけが、シンプルだけど、力強い。所謂80年代くささがなくて普遍的なイメージを放っていた。あぁマイゼル好きだったんだと気づいたとき、いろいろ調べてみてもマイゼルは写真集をあまり出していないし、作品も市場にあまり出回っていない・・・

この1枚は、マイゼルの主戦場だった「イタリアンヴォーグ」で掲載された1枚。
Christy Turlingtonのけだるい感じがとてもセクシーだ。ヴィンテージでかつ珍しいサイン入り。
90年代以降のファッション系写真家の市場が掘り起こされるつつある中、
マイゼルの価値は今後ますます高まっていくだろう。


STEVEN MEISEL (B. 1954)
Christy Turlington, for 'Italian Vogue', 1989
gelatin silver print
initialed in pencil (on the verso)
13 3/8 x 10½in. (34.5 x 27.2cm.)

現代アートを理解するための文献について [現代アート論]

Gursky_-_Tokyo_Stock_Exchange_(1990)[1].jpg

なんとか今日の「現代アート」を理解しようといろんな文献や資料を買いあさっている。
僕は芸術学も美学も素人だし、英語が堪能な訳じゃないから誤訳してるかもしれない。
単なる現代アート好きのコレクターとして勉強になった文献を整理してみる。

●ポストモダン時代の現代アートの理論的背景に関する文献
アーサー・ダント  「芸術の終焉の後の芸術」 『中央公論』 1995年4月
Arthur C. Danto 「After the End of Art: Contemporary Art and the Pale of History
西村和清 「現代アートの哲学」
Victor Burgin「The End of Art Theory」
Arthur C. Danto (1964)  「The Artworld」

●作品の解釈に関する文献
フィリップ・イエナワイン「モダンアートの見かた」
ファイドン社 「アート&フォトグラフィ」
シャーロットコットン「現代写真論」
こういった本は、作品をどう見るのかについて参考になる。

●現代アートの基本的な理解を助ける文献
末永照和編 「20世紀の美術」
ネルソン=シツ編 「美術史を語る言葉 22の理論と実践」
ロバートアトキンス 「現代美術のキーワード」

●有力なアーティストの作品を網羅的に分析したテキスト
Nancy Spector 「Felix Gonzalez-Torres」
Susanne Lange, Jeremy Gaines「Bernd and Hilla Becher: Life and Work」
MOMAの展覧会カタログ「Andreas Gursky」「Jeff Wall」「Thomas Demand」
*ベッヒャー派は、ベッヒャーのタイポロジーという方法論を基本としながらも、
現代アート化する独自の方法論を築いた人たちなので参考になる。
トレスやシャリーレビーンはポストモダン時代の代表的なアーティストなので
非常に参考になる。Jeff Wallは現代アートの最重要人物なので要注意。
特に、MOMAの回顧展のテキストは特定のアーティストの作品の長期的変遷を
美術史的な文脈や方法論の視点から解説してくれる。

●モダニズム系フォーマリストのテキスト
グリーンバーグの著書はたくさん出ている。
今日の現代アートは批判的にモダニズムやグリーンバーグを解釈して作品を作る場合が
多いので、その背景として読む必要がある。

●参考にならないテキスト
Terry Smith「What Is Contemporary Art?」
現代アートの現象を捉えているだけなので、あまり本質や方法論の理解の助けには
ならない。そういう本はだいたいダミアンハーストが表紙になっている・・・
あと、「現代アートは簡単」「すぐ分かる現代アート」的な本は、むしろ混乱する。
現代アートが簡単ならば、知的かつ美的な快楽的体験はないだろう。
そういう本を買うくらいなら、自分の感性を信じて鑑賞した方がいいと思う。
またモダニストなのに、今日の現代アートを語ろうとしている文献も読まない方が
いいと思う。(説教くさくて読みにくいです)

以上、現代アートの「見かた」や「考え方」に示唆を与えてくれる文献をリストアップしました。
僕が写真好きなので、ちょっと写真系に偏ってますが・・・
他にいい本があったら教えてください。

*掲載作品はグルスキーの転換点となった重要な作品。







タグ:現代アート

現代アートのブランディング戦略 ① ~現代アートを定義する~ [アートブランド戦略論]

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いま次のアートマーケティング研究に取り掛かっている。
タイトルは、現代アートのブランディング戦略に関する一考察。

現代アートをブランドマネジメント論のフレームに落とし込み、
現代アートにどう取り組んでいくか実践的示唆を与えようと
いうのが研究目的だ。

まず最初にやらなきゃいけないのが、「現代アート」を定義すること。
これが難解。いろんな文献を読んでみたが、「定義できない」というのが定義らしい。
モダンアートの見かた』によれば・・・
ただ今日の現代アートにおける独創性と創造性は、思想や行為にあるのであって、
作品そのものにあるのではない。技巧はアーティストにとって本質的な問題ではなく、
モノとしての作品自体にも重要性はない。これが今日の現代アートの立脚点になっている・・

そして『現代アートの哲学』によれば・・「芸術作品の本質はコンセプト」・・と書いている。

こうした見解から、これが現代アートだという答えも定義もなく、
「これはアートなのか?」と問いかける創作活動こそがアートなのだといえる。

こうした思想の源流にはマルセルデュシャンが存在していて、今日の美術史は
デュシャンの知的な企みによって編集され続けているといっても過言ではない。


*作品はウォーカーエバンスではなく、シャリーレヴィーンによるもの。
モダンマスターズの作品の図版をそのままコピーして作品にしている。
ポストモダン時代の代表的な現代アート作家。
この作品が欲しいと思うようになると、かなりの重病・・・
僕は少し欲しいと思い始めている・・・

ART生成モデル ~ARTはどうやって作られていくのか~ [アートマーケティング]

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ある編集者からお話を聞いていて、へぇーアートってこうやって作られるのねと思った。
そのエッセンスを忘れないうちにスケッチしておきたい。
アートがつくられる仕組みを研究している僕にとって重要なものだからだ。

アートは限られた人たち、それはアーティストや編集者、アートプロデューサー、ギャラリスト、
その他文化人(ミュージシャンなど)・・といった人たちの小さなサークルの中で芽を出す。
彼らは繋がっていて、いわばトモダチ関係で「これからはこれがかっこいいよね」とか、
ミュージシャンが今度アルバムジャケット写真とってくれないとか、ある編集者が
身近なアーティストとトモダチになって写真集を出すとか・・・
そんな緩やかな状況のなかで創作活動が行われる。

しかしそれは単なる動きではなく、発信力をもつ彼らが繋がることで、そうした情報や
コンテンツが大きな文脈になっていく。しかしこの段階はまだまだ萌芽状態だ。

そうした動きがやがてアートの権威者へと繋がっていく。有力な美術館のキュレターや
批評家がそうしたアートを評価することで最初はサブカル程度のアートがファインアート化
していく。それだけではまだまだだ。
やがて権威化しつつあるアートに早くから眼をつけているコレクターがコレクションしたり、
またNYやパリといったアート市場においてアートセールに出展され市場価格が付き始める。
そして最後にはサカンダリーマーケット(オークションなど)で取引するにつれて価格が倍倍ゲームになっていく。

このように、アートは大きくいうと3段階にステップを経て価値化されるのだ。
コレクターである僕はアートがどのように生成されるか凄く興味がある。
セカンダリーに出てから手を出すのはもう遅く、アートの芽が出始める前につまりアートサークル
の中に入ることによってコレクションしていく方が楽しいし、アートの作り手側に回る方が
エキサイティングだろう。

*作品はスティーブンギルの近作。
風景に閉じ込められた破片のような物質が、鼈甲のように美しい。

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